フィールズ賞受賞者25名が共同声明――「AI企業と数学界の目標は深刻に不整合」
※本記事は2026/09/13時点での情報を基にしており、閲覧時点では内容や状況が変わっている可能性があります。
フィールズ賞受賞者25名が、共同声明「A Severe Misalignment of AI in Mathematics(数学におけるAIの深刻な不整合)」を公表した。公表日は9月11日である。
声明の中心にあるのは、AI企業が数学の未解決問題を性能競争のベンチマークとして解くことへの異議だ。その営みは数学という科学にとっても、数学者のコミュニティにとっても有害であり、AI企業の目標と数学者コミュニティの目標は「深刻に不整合」だと声明は述べている。
ただし批判一色ではない。この数カ月でLLMの数学的能力が劇的に向上したことは、声明自身が冒頭で明確に認めた。
署名した25名には、日本の森重文氏(フィールズ賞1990年)が含まれる。声明の射程は数学にとどまらない。いま起きていることは、他の科学的・創造的職業、さらには社会全体に影響を及ぼす、より広いアライメントの問題の一部だと位置づけられている。
なお、ここでいう「不整合(misalignment)」は、AIの安全性分野で使われる「アライメント」とは別の意味で用いられている。安全性の文脈ではAIモデルの振る舞いと人間の意図とのずれを指すが、本件で問題にされているのは、AI企業と数学者コミュニティという二つの集団が抱く目標のずれだ。
(※本記事の英語原文からの引用は、全て編集部訳による。)
声明が言う「深刻な不整合」
声明は、問題の所在を冒頭の段落で言い切っている。能力の否定から入るのではなく、能力の向上を認めた上で、その能力の使われ方に異議を唱える順序を取った。
LLMが難問を解けるようになったことは認めている
声明の書き出しは、AIの数学的能力への率直な評価である。「この数カ月で、LLMの数学的能力は劇的に向上し、多くの数学分野で主要な未解決問題を解けるところまで来た」と記す。
この一文を疑問形にも留保付きにもしていない点が重要だ。署名者たちは、AIが数学の難問を実際に解いているという前提を共有した上で議論を始めた。
その直後に、声明は評価を反転させる。「しかし、数学の問題を解くことをベンチマークとして扱うAI企業の推進は、数学という科学にとっても、数学者のコミュニティにとっても有害である」。問題にされたのは解けるかどうかではなく、解くことが何のために使われているかだった。
ベンチマークとして解くことが数学を損なうという主張
声明は続けて、「AI企業の目標と数学者コミュニティの目標は、深刻に不整合である」と断じた。その上で、声明は問題の枠を数学の外に広げている。「我々はこれを、他の科学的・創造的職業・社会全体に影響を及ぼす、より広いアライメントの問題の一部だと見ている」という。
なぜ有名な問題を解くことがベンチマークになりえないのか。声明は、有名問題が数学の中で果たしてきた役割から説明する。「有名な問題はしばしば、この地形の理解がどれだけ進んだかを測る目印であり灯台であり続けてきた」という記述だ。
続く一文が、声明の理屈の核心に当たる。「そうした問題の一つを解くことは、新しい洞察と興味深い手法が得られたという確かな徴である。それらは数学者のコミュニティによって、講演・議論・単純化という長く骨の折れる過程を通じて研究されてきた」。
引用はさらに続く。「この過程の終わりには、理想的には、どの大学院生でも、さらには学部生でも学べる教科書の記述が得られる」。
つまり「難問が解けた」という事実は、これまで新しい理解が生まれた徴候として機能してきた代理指標だった。その代理指標だけを直接狙って達成する主体が現れると、指標と本来の目標との結び付きが弱まりうる。声明は、このように代理指標と本来の目標がずれる危険を問題視している。
問題視されたのは発表の速さ・帰属・若手育成
不整合の帰結として声明が挙げたのは、抽象的な理念の話ではない。発表の作法・先行研究への帰属・次世代の育成という、研究という営みの運用にかかわる具体的な論点だった。
「true/false」の量産が土壌を壊すという指摘
声明が最も強い言葉を使ったのは、問題を解くという行為の位置づけについてである。「しかし問題を解くことは、概念的な理解と洞察という第一の目標を達成するための道具であり代理指標にすぎない。AIの世界でこの点を忘れれば、その道具を第一の目標に反するものに変えかねない」と警告する。
そして「実際、『真か偽か』の言明をますます速いペースで大量生産することは、新しいアイデアに命を吹き込むどころか、肥沃な土壌を破壊しうる」と続けた。命題の真偽が高速に確定していくこと自体が、新しい発想が育つ条件を損なうという主張である。声明が問題視した点を、原文の記述とともに整理したのが次の表だ。
| 問題視した点 | 声明の記述(編集部訳) |
|---|---|
| 拙速な発表 | 「こうした解はしばしば急いで発表され、適切な書き上げ・新しい手法やアイデアの抽出・他者の関連する先行研究の引用に充てる時間が残らない」 |
| 帰属と盗用 | 「あらゆる創造的職業と同じく、これは帰属と盗用に関する深刻な問題を生じさせる」 |
| 「真か偽か」の量産 | 「『真か偽か』の言明をますます速いペースで大量生産することは、新しいアイデアに命を吹き込むどころか、肥沃な土壌を破壊しうる」 |
| 人間の伝達の連鎖 | 「その発展と数学の正典への統合を引き受ける意志ある数学者がいなければ、AIが着想したアイデアは決して十全に生きることがなく、数学者の間の決定的に重要な人間の伝達の連鎖が失われるだろう」 |
四つのうち、拙速な発表と帰属・盗用は発表の作法にかかわる。真偽命題の量産は、研究の土壌そのものへの影響を指す。人間の伝達の連鎖は、AIが着想したアイデアであっても、それを引き受けて数学の正典に位置づける人間がいなければ生きないという指摘だった。
最も貴重な資源は学生とアイデアである
もう一つの論点が、若手の育成だ。声明は「数学者コミュニティは多くの点で、人類の縮図として機能している」と述べた上で、職業としての優先順位を明言した。
「我々の職業にとって最も貴重な資源は学生とアイデアであり、我々はそれを細心の注意を払って育てている。それらが十全な可能性まで育ち、数学の世界で自らの生を持てるようになるまで見届ける責任を、我々は感じている」。
学生に問題を与える意図も説明された。「学生に対して我々がしばしば問題を提示するのは、研究やその他の場での前進に向けて有利な位置に立てる技能を育てるという中心的な意図からである」。問題は答えを得ることだけでなく、解く過程で技能を育てるためにも出されてきた。
アイデアの側も同じ構造を持つ。「我々はアイデアを講演・私的な議論・入念な書き上げを通じて広め、他者の先行するアイデアと結びつける。これらの過程は必ず時間を要し、人と人とのやり取りに基づいている」という記述だ。声明は、こうした過程に時間と人間のやり取りが必要だと述べた。
署名した25名と広がる賛同
声明の重みは、署名者の顔ぶれから来る。数学で最も権威ある賞の一つとされるフィールズ賞の受賞者25名が、同じ文書に名を連ねた。
フィールズ賞受賞者25名が連名で出した
署名者一覧には、Pierre Deligne氏(1978年)からYu Deng氏(2026年)まで、受賞年に48年の幅がある。日本からは森重文氏(フィールズ賞1990年)が入った。なお、25名は「当初署名者(initial signatories)」という位置づけであり、賛同の枠は開かれている。
25名の位置づけについては、署名者の一人であるテレンス・タオ氏(フィールズ賞2006年)が自身のブログで説明した。同氏は「以下の声明の25名の当初署名者は、全員がフィールズ賞受賞者である。その一人に名を連ねられたことを誇りに思う。この声明は、ここ1週間の我々自身の間の議論から生まれた」と書いた。
このブログ記事が公開されたのは日本時間の9月12日2時27分である。これは声明Webサイトそのものの公開時刻ではなく、署名者による告知の時刻だ。同日、Le Mondeにも声明のフランス語版と英語版が掲載された。
タオ氏は、声明を早期に公表した理由にも触れている。「ライデン宣言のときのように、より多くの意見を聞く過程を取る時間がなかったのは残念だ。しかし、状況の緊急性から、遅らせるより早く声明を出す必要があると判断した」。少なくとも声明Webサイトとタオ氏のブログには、発起人を特定する記載は見当たらない。
賛同者は5,000名を超える
声明Webサイトには、25名の当初署名者とは別に賛同者(Endorsers)のページがある。2026年9月13日時点で、掲載数は5,000名を超えていた。
賛同は誰でも自由に書き込める形式ではない。ORCID(研究者識別子)にサインインするか、学術機関のメールアドレスを確認すると掲載される方式である。一覧は1ページ最大150名で、全34ページだった。
この数は、Webサイトが示すいずれかの確認手続きを経た掲載数である。当初署名者の25名がフィールズ賞受賞者に限られるのに対し、賛同者は同賞の受賞者に限定されない。
Webサイトは追加の賛同を受け付け、訂正・削除の窓口も設けている。このため、本記事に記した数は上記時点の値であり、掲載数は変動しうる。
企業名の名指しはなく、AIの可能性も認めている
声明を読む上で取り違えやすいのが、批判の対象と強度だ。本文を確認する限り、声明は特定の相手を名指しせず、AIそのものへの評価も否定一色ではない。
特定の企業・特定の出来事への言及はない
声明本文には、特定の企業名が一つも登場しない。企業への言及は「AI企業(AI companies)」が2か所と「これらの技術を開発している企業」が1か所の、計3か所にとどまる。
特定の出来事への言及もない。直近で話題になった個別の証明も、特定の懸賞問題も、名指しした記述は本文に見当たらない。あるのは「この数カ月、主要な数学問題をAIが解いた成功は、数学界の外でも見出しを飾ってきた」という一般的な言い方だけだった。
この点は、当メディアが9月9日に報じた「OpenAI、Navier–Stokesの有限時間爆発を証明と発表――NYU教授が経緯を巡り声明」との違いに当たる。9月9日の記事が扱ったのは、特定の証明主張をめぐる個別の論争だった。
今回の声明は個別の事案を挙げず、評価のやり方・発表の作法・育成の文化という制度の水準で書かれている。学界が個別の応酬から一段上がって集団的に出した回答と読める。ただし、声明が9月9日の件に言及しているわけではない。
「AIは真の数学的探究を高め、加速させる可能性がある」
声明の最終段落は、AIへの肯定的な留保から始まる。「AIには、真の数学的探究と理解を高め加速させる可能性がある。職業としての数学は、こうした変化にいくつかの点で適応する必要があるだろう」という記述だ。
AI企業側の反応については、OpenAI・Google DeepMind・Anthropicの公式サイトを確認した範囲では、9月13日時点で声明への応答が見当たらない。各社の公式Xアカウントまでは確認できていないため、応答が存在しないと断定できるものではない。
その上で結果を決めるものを名指しした。「しかし、この変化が最終的に分野に益するのか、それとも破壊的な影響を与えるのかは、この新しい技術を制御する人間たちの決定によって大部分が決まる」。技術の性能ではなく、技術を扱う人間の判断が分岐点だという立場である。
締めくくりの要求では、三つの宛先が示された。「これらの問題には、数学者コミュニティ・これらの技術を開発している企業・他の多くの形の知的労働で同様の問題に直面する社会が、広く緊急に取り組まなければならない」。
企業だけに責任を投げるのでも、学界の内輪の話に閉じるのでもない。数学者コミュニティ・企業・社会という三者それぞれに宛てて、緊急の対応を求める構えを取った。
知的労働と人材育成に及ぶ論点
声明が数学の外に視野を広げた段落は、AIを業務に入れる企業にも関係する。知的労働一般で起きうる目的と結果のずれが主題だ。
訓練が担う理解と問いの形成
声明は「我々が目にしているのは知的労働への一般的な脅威であり、AIを使った結果と、その当初の目的との間の不整合である」と述べる。続けて「多くの分野・活動では、何年もの訓練が最終的な答えや製品を生み出すだけでなく、理解・新しい問いやアイデアを立てる能力を育てるためにも役立ってきた」と書いた。
企業の人材育成にも関係する論点
この記述は、企業の人材育成にも当てはめて考えられる論点だ。例えば、新人に資料を作らせる・議事録を書かせる・調査をまとめさせるといった仕事は、成果物だけでなく、構造を理解して次の問いを立てる力を育てる役割も担いうる。
声明の見立てでは、AIがその過程を飛ばせるようになったときに二つの目標が分岐する。「人間の膨大な先行仕事の上に立って、AIシステムはそうした仕事の結果を直接生み出す能力をますます高めており、この二つの目標は整合しなくなる」という一文が、分岐の条件を示した。
声明の論理に沿えば、育成も目的に含まれる仕事ほど、AIによる過程の短縮と技能形成の間にずれが生じうる。仕事を割り振る目的は、成果物の獲得と技能形成の両面から捉える必要があるという論点だ。
声明はこの問題を数学界に固有のものとは見ていない。「いま数学者コミュニティが直面している問題は、他の科学的・創造的職業が直面している問題と同種であり、人類全体が直面しうる問題を指し示している」と書く。
その上で問題をこう言い換えた。「すなわち、AIが仕事のやり方を変えていく中で、その仕事がそもそも何を達成するためのものだったかを見失わないようにするには、どうすればよいのかという問題である」。
宛先にコミュニティ・企業・社会の三者を並べた声明は、この一般化と対応した構えだ。数学者25名が投げた問いは、業務のどこにAIを入れるかを決める立場にある企業にも関係する。
※出典:A Severe Misalignment of AI in Mathematics(Math and AI) / Endorsers(Math and AI) / A severe misalignment of AI in mathematics(What’s new) / Fields Medal(International Mathematical Union) / How we think about safety and alignment(OpenAI) / La mise en garde de 25 médailles Fields(Le Monde) / 25 Fields medalists warn(Le Monde)